【18-01】“胡同”の人情を探して

2018年2月6日

青樹 明子

青樹 明子(あおき あきこ)氏: ノンフィクション作家、
中国ラジオ番組プロデューサー、日中友好会館理事

略歴

早稲田大学第一文学部卒業。同大学院アジア太平洋研究科修了。
大学卒業後、テレビ構成作家、舞台等の脚本家を経て、ノンフィクション・ライターとして世界数十カ国を取材。
1998年より中国国際放送局にて北京向け日本語放送パーソナリティを務める。2005年より広東ラジオ「東京流行音楽」・2006年より北京人民ラジオ・外 国語チャンネルにて<東京音楽広場><日本語・Go!Go!塾>の番組制作・アンカー・パーソナリティー。
日経新聞・中文サイト エッセイ連載中
サンケイ・ビジネスアイ エッセイ連載中
近著に『中国人の頭の中』(新潮新書)

主な著作

「<小皇帝>世代の中国」(新潮新書)、「北京で学生生活をもう一度」(新潮社)、「日本の名前をください 北京放送の1000日」(新潮社)、「日中ビジネス摩擦」(新潮新書)、「中国人の財布の中身」(詩想社新書)、「中国人の頭の中」(新潮新書)、翻訳「上海、か たつむりの家」 

 先日北京で、友人が取り壊し寸前といった胡同の一角にあるレストランに連れて行ってくれた。紫禁城の西、翠花胡同という美しい名の胡同で、美術館の近くである。工事現場を抜けていかなければならず、外国人にはたどりつくことは、まず無理だろう。しかし驚いたことに、お昼時ということもあったが、すでに大勢の人が店の前に列を成している。最低でも1時間は並ぶという。

 “悦仙”というこの店は、私営レストラン第1号で、すでに約40年の歴史を持つのだそうだ。

 ようやく確保した席で、友人が料理を注文してくれたが、そのほとんどが私にはなじみのないものだった。“芫爆肚丝”は豚の胃袋と野菜を炒めたもの、“五丝桶昔”は、ハムや白菜、大根などを春巻きの皮のようなもので包み、油で揚げたものだ。どれも素朴な味だが、美味である。

 店が提供するのは、すべて昔ながらの家庭料理なのだそうだ。今流行りの、煌びやかな装飾の高級店では味わえない、懐かしい味、つまりお袋の味である。それを60年代・70年代風にしつらえた店内で味わうと、あの時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥るらしい。

 このところ、人々の心に“胡同”が復活している。

 昨年の秋、<情満四合院>というテレビドラマが高視聴率を取り話題になった。60年代から90年代までを舞台に、北京・四合院での人間模様を描いた物語である。

 四合院とは、中国北方地方の伝統的建築で、主に胡同と呼ばれる狭い路地に建つ。中庭を囲み、東西南北の四面に部屋が並ぶ。もともとは富豪の住宅だったが、新中国建国後は庶民が集まって暮らす集合住宅となった。日本で言う長屋のようなものである。プライバシーはないが、人情があるというのが一般的なイメージだ。

 胡同の四合院、2008年の北京オリンピックを境に、次々と壊されていった。人々は、郊外の新築アパートへと立ち退きを余儀なくされ、胡同と四合院の世界は、人々の生活から消えつつあった。

 そんななか庶民は、テレビドラマ<情満四合院>に何を見たのだろう。

 主人公は、工場の食堂で働く調理師である。 “傻柱(田舎者)”ではあるが、常に公平公正、法を侵さず、人情に厚いという “無名の人”だ。

 劉家成監督は、メディアの取材にこう答える。

 「社会の進歩は実に速く、人々は落ち着きを失っている。このドラマを通じて、一度歩みを止め、物質の豊かさを追求するあまり、かつて人々が持っていた“善良性”“純真さ”を失ってしまったのではないかということを、思い返して欲しいと思った」

 最近、中国のメディアである動画が話題になっている。

 某地方都市でのこと。雨の降る中、一人の高齢女性が横断歩道を渡ろうとしていたが、信号がないため、渡ることができない。その時一台の車が停まり、女性を渡らせようとしたが、左右を走る車は、かまわず通行し、相変わらず女性は渡れない。20秒ほど後、最初に停まった車は向きを左に変え、二車線に跨る形を取り、後続車の通行を遮って、彼女を渡らせたのである。その行為は人々の感動を呼び、テレビのニュースでも取り上げられた。

 このニュースが、何故これほどまでに、人々を感動させたのだろう。

 その背景には、“心の荒廃”を彷彿させる数々の出来事がある。

 たとえば「あなたは、道で転んだ人を見かけた場合、その人を助けますか?」と問われた場合、どう答えるだろうか。

 本来ならば、これは至極簡単な質問である。しかし、近年中国では、その人の人生観、人生哲学にかかわる重大な問題だと言ってもいい。何故ならば、助けた相手に「こいつに倒された」などと言われ、治療費等を要求されることもあるからである。

 2015年9月初め、軍事パレード一色だった中国で、ある出来事が庶民の注目を集めていた。

 9月8日早朝、安徽省淮南市で登校中の女子大生は、老人が道で転ぶのを目撃した。大声で助けを求めている老人を彼女はすぐさま助け起こし、求めに応じて救急車を呼ぶ。老人の妻もかけつけ、一緒に病院に運んだのはいいが、医者に「何故転んだのか」を尋ねられると、「この子の自転車に突き飛ばされたからだ」と答えたのである。老人は右腿を骨折していて、女子大生は治療費2千元(約3.5万円)を請求されることになった。

 ここまでは残念ながら、中国ではよくある話である。安徽省の事件が一気に広まったのは、女子大生がネット上で「誰か私の潔白を証明してください」と、目撃者を募ったからである。

 真相は藪の中だったが、驚いたのは、この事件に対する庶民の反応である。CCTVが報道番組内で行った調査によると、85%の人が女子学生を支持し、老人が正しいと感じている人は、ほんの0.76%で、1%にもみたなかった。ほとんどの人が、嘘をついているのは老人のほうだと考えたのである。

 同調査は重ねて問いかける。「もしあなたが、路で転んだ老人を見かけた場合、助け起こしますか?」

 答えは43%が助け起こさない、27%が(携帯などで写真を撮るなど)証拠を残してから助ける、となっている。この数字は、逆であるのが正常な社会であるはずだ。

 その後警察は「女子大生が老人にぶつかった」という結論を下した。事件は収束に向かったが、ネットでは今なお論戦が続いている。

 北京に留学している某日本人男子学生の話。

 「駅の階段で、お年寄りが大きな荷物を抱えて困っていたから荷物を持ってあげたんです。でもその人、あまり嬉しそうじゃなかったし、周りの人も冷たい眼で見るんですよ。何故かな」

 それは何故か。答えにたどり着いた時、彼はどう思うのだろうか。

 中国の横断歩道は、多くのドラマを生む。

 昨年の夏に、ある動画が中国全土に発信・拡散され、大きな反響を呼んだ。

舞台は某地方都市、やはり横断歩道である。

 一人の老人が横断歩道を渡ろうとしていたが、なかなか渡れない。

 そんな老人を発見したある女性ドライバーが、横断歩道の前で停車し、その老人を渡らせた。するとその老人は、横断歩道の真ん中で立ち止まり、停車してくれたドライバーに向かって、90度のお辞儀をして、感謝の意を表したのだった。

 深々とお辞儀をする動画は、“人々の心を温かくした”と、なんと3,000万回再生されたという。

 この動画に登場するのは、今年89歳になる閔慶昌さんだ。彼はメディアのインタビューにこう答える。

 「私のような年寄りは若者のように早くは歩けない。通り過ぎると思った車が止まってくれて感動したんです。"ありがとう"と口で言っても、彼女には伝わらないから、だからお辞儀をしたんです」

 高齢者をいたわるのは中国の文化である。

 日本の地下鉄や電車、バスなどでの優先席で、老人や妊婦など、席を必要としている人々が目の前にいるのに、若者が占領している光景を、しばしば目にすることがあるが、中国ではほとんど見かけない。若者たちは率先して年配者に席を譲るのである。このような“地下鉄内での常識”が、横断歩道では発揮されないことが、実に不思議である。

 再び胡同へ。

 私の友人の一人は、若い頃、胡同の一角にある集合住宅に住んでいたという。ほとんど長屋といっていいくらいで、隣の生活音はすべて筒抜けだったそうだ。

 友人が朝トイレに入ると、隣家のおじいちゃんが、小さな孫に物語を聞かせている声が聞こえてくるという。

 「毎朝、トイレに座って、私もおじいちゃんの話を聞くのが楽しみでね。さて、今日はどんな話をしてくれるのかなあと」

 “隣家の話し声”は、今であれば、騒音問題に発展していくかもしれないが、かつて胡同には、それがない。人々の心に、尖ったものが少なく、余裕があったのも事実だろう。

 胡同や四合院に象徴される人情厚き過去の時代。物質文明の進歩と反比例するかのような過去への憧憬は、経済大国化と引き換えに失ったものは何か、ということを、人々が改めて考えて始めているのかもしれない。


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