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【17-005】検察による監督

2017年 3月10日

略歴

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

「法」について

 今回は「曖昧な制度」の典型である「法」自体をテーマにしてみましょう。前回のコラムにおいて現代中国(法)が「法学教育」と「(法的)透明化」の2つの仕組みを前提にして「曖昧な制度」を「ち密な制度」へと昇華する仕組みを構築していると指摘しました。では、この仕組みの中へ「法」を投げ込むとどうなるでしょうか。

 日本と異なり現代中国が優位である点は、「法」を投げ込む際、その建国から現在までに2つの相反する論理を実験してきた経験があるという点です。まず1つ目の論理は、法虚無主義を反映した論理です。それは虚無主義が主張するような人間の存在の意義、目的、真理や本質的な価値はないとする完璧な論理ではありませんでした。現代中国は、社会主義の社会から共産主義の社会へ移行する中で、階級対立が消滅することにともない法も死滅すると考えて、「法の死滅」論を実験しました。ちなみに旧ソ連においては「法の死滅」論を主張した法学者パシュカーニスが粛清されるなど、極めて凄惨な歴史を遺しています。現代中国では文化大革命がこれに該当します。そして、2つ目の論理が「法による支配」論です。現在の現代中国はこの論理を実験していると私は考えています。

 ところで、現在でも日本における現代中国研究の主流は、「法の死滅」論の実験の中で生まれた文化大革命、鶴の一声現象あるいは紅頭文件(公式文書)による統治を「法」として評価しません。酷い批評になると、この「法の死滅」論を実験していた現代中国を人治の国であると断じています(それゆえに人治から法治へという80年代のスローガンが彼らには輝いて見えたのかもしれません)。しかし、これらの現象や事実が当時の現代中国を規律し、人々によって(無理矢理であろうとも)順守されていたわけですから、間違いなく「法」は存在していたと言えます。要するに、「法」とは何らかの秩序であり、社会を構成する人々によって順守される秩序が存在すれば「法」は認められるのです。

 極論を言ってしまえば、どのような「法」が存在したとしても、人々が順守しなければ「法」とは言えないという意味で、人々が順守することが不可欠です。それゆえに、人間の国家はすべて人治の国なのです。そして、人間の国家を法治の国にすることは、人々が順守する「法」を少なくとも主権者が直接または間接に関与する手続きに則って生成し、この手続きをも人々が順守することによって、ようやく法治の国であると評しているにすぎません。人治と断じることがいかに酷い批評なのか、お分かりいただけるのではないでしょうか。

 このように現代中国の構築する仕組みの中へ「法」を投げ込むと、どのような手続きを順守するにせよ、生成される「法」が何か確定したものではないという意味で曖昧なのだということに気づきます。そして、この曖昧さが心地よい人にとって「法」をち密化することは思考上の禁忌となりますし、なぜ疑問を持つのかが理解できないこともあるでしょう。そして、「法」について考え抜くことを拒絶し、既存の答えに固執する傾向をもつようにもなります。ちなみに、中国的権利論はこの曖昧さを嫌い、「法」を確定した何かにしようとする権利論なのです(興味をもたれた方は以前の記事を参照ください)。

 さて、私たちが「法」をち密化することを思考上の禁忌として拒絶する理由の説明は単純化してしまえば以上のようなところになります。このお話を続けても良いのですが、それはこのコラムの目的にとっては取るに足らないことですから、最低限の偏見を取り除いたところでさっそく本題に入ることにしましょう。

検察による(法律)監督

 上記で紹介してきた「法」が力(ちから)を得るためには何が必要でしょうか。「法」が得る力を法的効力と言います。この答えは単純です。「法」が法的効力を得るために必要なことは人々による順守ないし遵守です。例えば、駅の切符売り場で最近は見ることもなくなりましたが、SuicaやPASMOなどのICカードがなかった時代は、一列に並んでいる券売機を前にしてフォーク現象をしばしば見ることができました。フォークの形状のように人々が列をなし、切符を買い終わって空いた券売機に次の人が順次向かっていく現象です。

 割り込もうとする人はこの「法」に気づかなかったか、順守する気のまったくない人です。現在のモンスター〇〇とどこか通じるところを私は感じるのですが、それはさておいて、ここでのポイントは、他の人が順守しているのだから自分も順守せざるを得ないという意識が働くところにあります。これが法的効力を生みます。法的効力とは何ですかと質問されて、刑罰などの制裁や行政命令などと答えることを正解とする法学教育を受けた人からすれば、奇妙な答えかもしれません。しかし、制裁や行政命令などは順守させるための手段ですから、言っていることの枠組みは同じなのです(精確に言えば、曖昧か、ち密かの違いです)。

 それでは「法」を人々に遵守させるためにはどうすれば良いのでしょうか。漢(おとこ)だったら自分の背中(行動・模範)を見せて遵守を促すという台詞で答えてみたいところですが。あるいは、法学教育が不可欠となることも尤もです。しかしながら、これらの意識づけでは「法」に気づかない場合や、あえて「法」に背く場合を防ぐことができません。人のもつ自主性や良心を最大限に尊重したいのは私も同じですが、曖昧だからこそ狡くすり抜けていこうとする人も現実に存在します。では、見て見ぬふりをするとどうなるでしょうか。見て見ぬふりをすると、制裁を受けないという違法の事実が、法的効力を喪失させます。(テレビドラマだけでなく巷でも聞くことがありますが)「俺だけじゃない」という台詞は、この違法の事実が大量に存在し、今回が氷山の一角であることを主張しているのです。しかし、この氷山の一角も問題であるとして制裁しなければ、法的効力は喪失してしまうのです。だからこそ見逃せないのです。

 そのために現代中国においても司法機関・司法職員が存在します。法を司って法的効力を保障する組織・人間です。この属性に従えば、裁判所(人民法院)だけでなく、検察(人民検察院)も警察(公安部)も司法機関に分類できます。そして、現代中国における司法とは、これら三つの機関を、そして総称して「公検法」と言います。一般に日本では、司法とは裁判所と検察のみで、警察は行政に分類されていますから、誤解しないようにしましょう。ちなみに「司法の独立」という場合、日本では裁判所の独立と裁判官の独立を、そして検察官一体の原則を加味して解釈しますが、現代中国で同様の解釈が成り立っているわけではありません。それゆえに、彼らが口に出すときにわざわざ「西側の」司法の独立について云々と言うところには重要な意味があるのです。なお、警察まで加えると複雑になりますから、今回は裁判所と検察の二項対立的に紹介していくことにします。

 日本法に照らせば、検察が(違法な)事実を法廷に持ち込み、裁判所が審理を通して判断するという役回りを確立していると言えます。これは裁判所が公正・中立性を確保しているからこそ確立できていると私は考えます。なぜならば、現代中国法に照らすと、検察の役回りが日本のそれ以上を期待されていると解釈できるからです。中国の検察はどんな違法な事実であれ見逃さず、法的効力を保障することが求められています。そこには刑事事件も民事事件も行政事件もありませんし、公検法の仲間であろうとなかろうと関係ないのです。これを「検察による(法律)監督」と言います。日本的な法の番人のイメージである「公正」や「中立」に照らせば、現時点でそれは中国の検察であって、裁判所ではありません。

 実は、2011年から検察による監督をち密化させる試みが始まっています。これは一部の地方で監督の業務に関する規制を緩和させて実験することを意味します。検察による監督をち密化させる流れの中で目的とされたことは、法執行問題の解決でした。上記の規制の緩和が執行職員による無法行為(法的根拠のない行為)も社会問題化させたようですが、これは改革開放以来、規制緩和や改革にともなって(良いことではありませんが)予測可能な現象ですから、主たる目的はやはり法執行ができない状態の解消でした。これを「執行難(問題)」と言います。例えば、金銭債権紛争で手持ちの金銭がないために金銭賠償できないということです。無い袖は振れないことは古今東西で共通していますから、執行難の課題は、いかに無い袖は振れない状態を作らせないか。また、その状態と思われる状況をいかに打開するかです。この実験を通じた経験の蓄積から2013年の民事訴訟法改正において「民事執行監督権」(同235条)を言明します。そして、法認を得た民事執行監督権を根拠にして「人民検察院民事訴訟監督規則(試行)」を制定しました(また、この実験の中から個人信用制度などの興味深い制度が派生していくのですが、これらは別の機会にお話ししましょう)。

 要するに、以上のち密化の試みを通じて、現代中国(法)は、法執行の強化が当事者の利益だけでなく司法の権威およびその公信力を高めることを確認したわけです。これが法的効力を保障することは言うまでもありませんから、民事執行監督権の行使は社会を安定させることを期待できると言えるでしょう。監督する側の不正はこれらの期待を裏切りますから、しっかりとした実施細則を作ること、法による支配を反映した監督の範囲、方法、手続きを確立するというち密化は、こうして次の段階へと進展しました。

民事執行監督規定

 次の段階へ到達した法令が、今回ご紹介する「民事執行活動法律監督規定(最高人民法院 最高人民检察院关于民事执行活动法律监督若干问题的规定)」(以下「民事執行監督規定」)です。民事執行監督規定は、最高人民法院と最高人民検察院が、人民法院の法による執行を促進し、人民検察院の民事執行に対する監督を規律するために2016年12月に合同で公布しました。同規定の主な特徴は次の3点です。

 第一に、検察が裁判所に対して主導することを基本の枠組みとして言明した点です。民事執行監督規定1条は、人民検察院が民事執行活動に対して法による監督を行ない、人民法院は人民検察院の監督を受けることを確認しています。この例外として、当事者または利害関係人あるいは部外者が、人民検察院へ監督を要求する権利を有することを確認しています(同5条)。ただし、これらの人々は原則として再審査申請や訴えの提起によって是正を求める権利を既に認められていますから、そのうえでなければ人民検察院が受理しないことも確認しています(同6条)。とはいえ、検察による監督は公権力によるものですから、私人の私的利益に必ず影響します。したがって、国家利益などの公共の利益に影響しない純然たる私的利益に対する監督については、関係者が監督を要求しない限り発動を控えるでしょう。誤解を招きそうな例えで恐縮ですが、痴話げんかの仲裁に入って「ああせい」、「こうせい」なんて言おうものならこちらに矛先が向くだけで、百害あって一利なしなのです。それは検察による監督でも同じです。

 第二に、検察による監督の範囲・対象について限定した点です。私は過渡期の現代中国法の特徴の1つとして「その他条項」の存在を紹介することがあります。これは範囲や対象を列挙して限定させることが立法上、重要な課題であるにもかかわらず、いくつか列挙した後に「その他」という条項を追記して、結果として何でもありの状態を生み出すという立法上の怠慢を私なりに揶揄した表現です。ち密化の流れの中で、民事執行監督規定はこの「その他条項」を消滅させました。民事執行監督規定7条は、以下に列挙する場合に人民検察院が職権による監督を行なうとしています。①国家または社会の公共利益を損なう場合、②民事執行中に汚職、収賄、法によらない執行などの違法行為を行ない司法機関が既に立案している場合、③重大な社会影響を生んでいる場合、および④支援的な監督が必要である場合です。これまでであれば、④は「その他民事執行監督が必要な場合」としていたでしょう。少なくとも半歩は前進したと私は評価したいと思います。

 第三に、検察が裁判所に対して主導する中での監督の秩序について言明した点です。基本的に検察による監督は、その同級の裁判所に対して行なわれることになっています。とはいえ、検察も裁判所もそれぞれのヒエラルキーを構築し、官僚機構を確立していますから、上の目を気にして抵抗することもあるでしょう。そこで、上級の検察や裁判所を通じて監督を受け入れさせる秩序を言明しました。民事執行監督規定11条は、同級の裁判所に対して監督を実施する場合に、検察長の承認か、検察委員会(による集団決裁)の決定を経る必要があるとしたほか(同11条)、必要であれば上級の検察による監督を要請したり(同4条)、監督に対する裁判所の対応が不十分である場合には、上級の検察を通じてその級の裁判所から対応を改めさせることができる(同14条)ことを確認しました。もちろん、検察による監督が法令違反の疑いがある場合に裁判所は書面でやり返す=抗議・是正対処できることも確認しています(同17条)。平たく言えば、部局間で折衝がうまくいかない場合に部局のトップ同士だけで折衝して打開を図るという一般の会社の秩序と基本的に同じ秩序を採ることを確認したわけです。

 以上が民事執行監督規定の主な特徴ということになります。人々に「法」を順守させて法的効力を保障する仕組みが次の段階へ入ったと言えるように私は感じるのですが、いかがでしょうか。

順法と個人の自由

 今回は現代中国法における法的効力の根源が人々による順法にあり、人々に順法させるための検察による監督が必要であることを紹介してきました。私の言説を批判的に検討しておられる方は、私が曖昧に紹介した箇所のあることに気づかれたのではないでしょうか。その箇所とは、(民事執行監督規定を紹介する中で)検察による監督の基本の枠組みについて、検察による監督は公権力によるため、純然たる私的利益に対する監督は個人が要求しない限り行使されないだろうと述べたところです。これは個人の自由を前提に秩序を考えていく自由主義に照らした解釈にすぎません。なぜなら、完全な個人の自由を承認すると、論理的にそれは順法を保障できないことになるからです。そこで、本記事を終えるにあたって、人々による順法と個人の自由との関係について考えておくことにしましょう。もちろん、今回取り上げた民事執行監督規定もこのテーマに取り組んでいるからです。

 民事執行監督規定15条は、検察による監督が発動し審理している中で、関係する当事者が合法的な内容で和解合意した場合、検察がこの和解合意を裁判所へ通知して裁判所が記録し、所定の手続きをさせることを言明しています。つまり、個人の自由を基にした和解合意が検察による監督を停止させることになるのです。当然のように思われるかもしれませんが、最高人民法院の公表した指導性裁判例(拙稿「七,指導性案例(7) 民事裁判の終局性について」『比較法学』46巻3号2013年3月ほか )からも明らかなように、過去、個人の自由は法的効力を与えられていませんでした。それも検察によって、です。

 上記の指導性裁判例を簡単に説明すると、Xが最高人民法院へ再審申請すると同時に、最高人民検察院へ監督を申請していたところ、Yとの間で和解が成立したため再審を取り下げました。ところが、検察が頑なに聞こうとしなかったのです。最終的に最高人民法院は検察による監督を退けましたが、その理由は当事者が申請を取り下げた場合で、国家の利益、社会公共の利益を損なわない場合は「法が定める範囲内で当事者本人の合法的権利の自由処分権を尊重保障」することで社会の安定を促進できるからというものでした。最高人民法院が慎重に審理した点を確認しておくとすれば、Xが既に再審の申請を取り下げている事実と当事者間の紛争が解決し、かつ、国家社会の公共の利益や第三者の利益に及ばないことを検証し、検察による監督の根拠がないとしているところに尽きるでしょう。

 要するに、民事執行監督規定が実施される以前、現代中国(法)は、個人の自由を比較的重視しており、「個人の自由>順法」という秩序を展開しようとしていたと言えます。しかしながら、前述の民事執行監督規定15条はこの秩序を修正しているように感じます。同15条は、合法的な内容で和解合意したことを要求していますし、それを受けて裁判所に法認の手続きを取らせるよう言明しているからです。現時点で「個人の自由<順法」という秩序であるというのは言いすぎですが、「法による支配」論が展開していく中で、「法」が合法か否かを事前に判断し、それに合わせて個人の自由が修正を余儀なくされる秩序であることは否定できないと私は考えます。

 そうすると、純然たる私人間の争いであることが個人の自由の最後の砦となりそうです。しかしながら、人間社会である以上、どこかで国家社会に影響してくるはずです。結局のところ、私たちはこの人々による順法と個人の自由の関係の微調整を常に考えていく必要があり、何を以て純然たる私人間の争いとするのかを「ち密化」していくことによって、私的空間を拡大してきた日本法のようなベクトルと、合法的な私的利益が何かを「ち密化」していくことによって、私的空間を認めていく現代中国法のようなベクトルとを目の前にしているのではないでしょうか。

(了)


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