【17-22】安全な社会づくりにも貢献期待の量子通信 佐々木雅英NICTフェローに聞く

2017年 8月 7日  小岩井忠道(中国総合研究交流センター)

 「超小型衛星による量子通信の実証実験に世界で初めて成功」。7月11日、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)が興味深い成果を公表した。わずか8日前に東京で開かれたシンポジウム「 日中科学技術の協力の新たな途を拓く」 で、中国科学技術部のイノベーション局長が量子通信を日本との研究協力で双方に大きな成果が期待できる分野として「量子通信」を挙げたばかりだ。N ICTの発表資料には、中国が大型の量子科学技術衛星から1,200キロメートル離れた二つの地上局へ量子通信を行う実験に成功したことも紹介されていた。量 子通信に欠かせない技術である微弱な光子信号から発信された情報を復元する力を持つのは中国と日本だけ、とも。日本と中国が世界をリードする量子通信とはどのようなもので、実 現すると社会にどのような影響を与えるのか。研究を主導する佐々木雅英NICT未来ICT研究所主管研究員・NICTフェローに聞いた。

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佐々木雅英NICT未来ICT研究所主管研究員・NICTフェロー

―なぜ量子通信という全く新しい通信システムに期待がかけられているのでしょうか。

 光ファイバーを使った現在の光通信の先にくる究極の高速・大容量通信法として、なんとしても実現させなければならないシステムです。さ らにセキュリティを徹底して追求できる技術であるのも光通信と大きく異なる長所です。光ファイバーを用いる現在の光通信は80キロメートルごとに中継局を置かなければなりません。地上でも海底でも同様です。大 容量の通信が可能になったとはいえ、中継局を必要とする点ではそれ以前の通信網と変わりません。

 地球全体で見ると光ファイバーが張り巡らされて大容量の通信が可能になっている地域は、実は一部に限られているのです。むしろ地球上の大半の人は光ファイバーによる大容量通信の恩恵を受けていません。衛 星光通信が可能になれば、劇的な変化が期待できるわけです。光ファイバーを張り巡らせる金もなければ時間もない地球上の大半の地域の人々が恩恵を受けられるのですから。アフリカ、インド、中 南米など人口にすると50億人にもなる膨大な市場が控えています。

 グーグルマップのようにネット上で簡単に世界中の地上の様子が高精細の画像で見ることができるようになっています。衛星に搭載したカメラで地上を常時、監視できるようになったことで、さ まざまな新しい産業が興りつつあります。しかし、今の通信のやり方では送れる通信量は制限があります。80キロメートル間隔で中継局を置きようがない宇宙通信網として新たな技術を考えざるを得ないというのが、量 子通信の研究を始める発端でした。実現すれば、伝送効率は今より千倍あるいは1万倍、場合によっては100万倍にもなり得ると期待できますから。

―量子通信のもう一つの特徴とされている量子暗号とはいかなるものでしょうか。

 通信内容の秘密保持には現在でもRSA暗号という手法が用いられています。これは大きな数字の素因数分解が事実上不可能に近いという事実を根拠にしていますが、見破られる恐れは全くないかといえば、そ うとは言い切れないともいわれています。一方、量子暗号のキーワードは「絶対に傍受できない」ことです。「不確定性原理」という法則に従う光子1個1個に情報を載せることで、第 三者が測ろうとすること自体が光子の状態を変えてしまう、つまりだれかが盗聴しようとすると必ずそれが分かってしまうという機能を実現できます。

 小型衛星による今回の実証実験では、量子暗号が本当に使えるというレベルまでは至っていません。しかし、基礎技術は実証できたと考えています。

―中国の研究の進め方とは違いがありますか。

 中国は昨年8月重さ600キログラムの低軌道周回衛星を打ち上げました。さらに7トンという静止衛星も打ち上げています。今年6月に成功したのは、「墨子」と 呼ばれる600キログラムの衛星を使った実験で、1,200キロメートル離れた二つの地上局に向けて衛星から「量子もつれ配信」(注)を行う実験に成功した、と発表しています。中 国科学技術大学を中心とする中国チームは、この衛星を用いて、さらに大陸間スケールの量子暗号の実験にも取り組んでいます。

(注:代表的な量子力学的現象の一つ。2個以上の量子(光子や電子のような粒子)が、古典力学的には考えられない特殊な相関をもって結びついている状態のことを量子もつれ状態と呼ぶ。量 子もつれ状態を構成する量子のうち、ある一つについての情報が測定によって確定すると、それに伴って別の粒子についての情報も確定する。量子もつれ配信とは、遠隔2地点間に量子もつれ状態を送信し、2 地点間に量子もつれ状態を形成する操作を指す)
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量子通信実証実験で使用する超小型衛星の概念図(NICT提供)

 われわれの実験の特徴は、重さ50キログラム、大きさ一辺50センチメートルの立方というはるかに小さな衛星「SOCRATES」で、量子通信の実証に成功したことです。地 球を高速で周回する衛星から送られてくる信号の波長はドップラー効果により、地上局に近づくときには短波長側に、遠ざかるときには長波長側に変移します。このため、地 上局に届く光子の到来時間の間隔は衛星の飛行中に短くなったり長くなったり変化します。この時刻変化を正確に補正できないと、信号の正確な処理はできません。中国の衛星量子通信実験では、量 子通信用のレーザーとは別に同期専用の短パルスレーザーを衛星に組み込んで地上局との時刻同期を実現しています。一方、われわれは、一つのレーザー光源のみを用いて、時刻同期と量子通信の両方を実現しました。 

 小型衛星でこうした実証ができた意義は大きいのです。量子通信の宇宙通信網が実現するには、1個の衛星を打ち上げるのに多額の費用をかけるようでは到底無理です。官 需でもって進められてきたこれまでの宇宙開発手法は通用しません。多くの企業が進んで参入してくる民間主導にするためには、低コストの小型衛星利用が必須です。光 ファイバー網の中継局は家庭用の大型冷蔵庫程度の大きさですが、無論こんな大きな衛星は使えません。他方、修理が簡単な地上の装置と異なり衛星はバックアップ機能を持たせる必要があります。5 0センチメートル四方という大きさは、量子通信を先に進めるためのこうした条件を満たすぎりぎりの大きさなのです。

―これからの研究の進め方と、量子通信を実現するために必要な取り組みについて伺います。先日の発表資料では、今回、実証実験に用いた小型衛星は運用を終えた、とありますが。

 次の小型衛星の打ち上げ計画は決まっていません。4、5年先になるかもしれませんが、それによって研究に空白ができてしまうわけではないのです。光 ファイバーを用いることで今のような大容量通信が可能になるまでにどれだけの時間を要したでしょう。光ファイバーの量産技術、中継器の最適化をはじめ、長い期間が必要でした。現在は、日 本と中国が量子暗号の技術を実証したという段階です。多数の企業が参入してきて、どのような通信網が構築できるかまだ誰も見通せていません。

 われわれは、地上のビル間でも新技術の開発を進めています。通信方式、暗号方式のめどが立てば宇宙で試みるというやり方です。地上でできることをきちんとやっておかないとよい結果は期待できません。そ れに4、5年くらいかかってしまうから、次の衛星打ち上げまで空白期間ができるということではないのです。量子通信の実用化には、早くても10年はかかるでしょう。さまざまな技術が成熟してかみ合うには、そ れくらいはかかるということです。

 量子通信や量子暗号の基礎技術を実証できたということと、量子通信が既存の通信システムに勝てるかということは全く別の話です。ある地区でモデルシステムを実証したということと、誰 でもパソコンに入れられるような技術と競合できるかは全く別ということと同じです。幸い日本は、さまざまな企業などとの協力がどこの国よりも進んでいるといえます。欧州は大きなプロジェクトを持っていますが、物 理学者主導で産業界の関心はまださほどではないように見えます。米国は軍事予算で進めていると思われますが、内容は明らかにしていません。

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量子通信につて解説する佐々木フェロー

―量子暗号が、軍事的に重要な役割を果たすことは想像できますが、一般の人間にとって通信の秘密保持が今より飛躍的に高まることによるメリットがいかなるものか、イメージしにくいのですが。

 昨年5月、三重県志摩市で開かれた伊勢志摩サミット(第42回先進国首脳会議)の際には、会議場周辺の海域にLNG(液化天然ガス)タンカーが入ってくるのを止める措置がとられました。サ イバー攻撃されて入港してくるタンカーが万一爆破されたりすると、大変な被害が予想されるためです。今の「暗号鍵」による通信内容の秘密保持法では、タ ンカー爆破といったテロを狙うようなサイバー攻撃を完全に防ぐことはできません。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、伊勢志摩サミットの時のような対応では済まないでしょう。規 模がまるで違いますから。

 もちろん量子暗号だけで、サイバー攻撃を防ぐことはできません。電波利用、物流の状況なども十分調べ、衛星と地上のさまざまな施設、船舶、航 空機が連動する安全なセキュリティシステムを構築することが求められています。実際、衛星を利用した現在の通信システムもさまざまな技術の集大成によってできています。適切な目標を設定し、努 力する機関しかチャンスはつかめません。予期しないような転機が訪れたら、誰よりも早くパッと対応できるようにしておかないと成功は期待できない、ということです。

インタビュー・写真 小岩井忠道(中国総合研究交流センター

佐々木 雅英(ささき まさひで)氏

略歴

1986年東北大学理学部卒。92年東北大学大学院理学研究科博士課程修了。NKK(現JFEホールディングス)勤務を経て、96年郵政省通信総合研究所(現NICT)入所。2 001年現NICT基礎先端部門量子情報技術グループリーダー、06年新世代ネットワーク研究センター光波量子・ミリ波ICTグループ(量子情報通信プロジェクト)研究マネージャー、0 8年同センター量子ICTグループリーダー、11年未来ICT研究所量子ICT研究室長、16年未来ICT研究所主管研究員。同年ICTフェロー。博士(理学)。

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