【09-013】「大学生村官」について

田原史起(東京大学大学院総合文化研究科准教授)     2009年7月24日

はじめに

 最近、中国では「大学生村官」という言葉をよく耳にするようになった。

 まず言葉自体を簡単に定義すると、大学生村官とは大学など高等教育機関の卒業生のうち、各地の地方政府による選抜を経て、農村において村レベルのリーダーの一人となって、在来のリーダーたちの補佐をする若者のことである。「大学生」村官といっても、現役の大学生が村のリーダーになるのではなく、卒業後の進路として農村での仕事を選ぶ、ということであるから、誤解のないようにしたい。

 「村官」というのは、村の「官」すなわち「役人」のことで、役人は中国語の「幹部」の概念に相当する。中国の村には、現在、平均して5.0人の「幹部」が存在している[1]。幹部は現在まで、二つの出自をもっていた。一つは「村民委員会」の構成員である、村民委員会主任、副主任、委員などである。こちらのメンバーは三年に一度、実施される村民選挙により選ばれる。もう一つは共産党の「党支部委員会」の構成員である、党支部書記、副書記、委員などであり、村民のうちの共産党員内部での選挙で選ばれるが、上級政府の党委員会の意向を強く反映するといわれる。二つの出自の人員は、実際にはしばしば重複しており、幹部の多くは村民委員会の委員であると同時に党支部の委員でもある。こうしてみると、大学生「村官」は、上記の二つのいずれとも異なる「第三の出自」をもつ新しい村幹部である。

 以下では、「大学生村官」と聞いてすぐに浮かんで来そうな三つの疑問を想定し、それに答える形で話を進めてみよう。

  • 疑問1) なぜ大学卒業生を農村に送るのか。その意味はどこにあるのか?
  • 疑問2) 大学生村官はどの程度、広がっているのか。局地的な現象に止まるのではないのか?
  • 疑問3) 大学を出たての「未熟な若者」が農村に入ったところで、本当に何か実益をもたらす仕事が出来るのか。出来るとすればどういう要因によるのか。

1. どういう意味があるのか

(1) 大学卒業生の就職難

 大学生村官が全国的なプロジェクトとして推進されはじめたことの背景として、もっともよく指摘される理由は、大学生の就職難である。

 1980年代から1990年代にかけては、大学生数が少なかったため、大学に合格しさえすれば良い就職口が保障されていた。ところが1990年代末以降、大学学生総数は急速に増加してきている。2006年の教育統計によれば、全日制大学の在学生数は2000年には556万人だったのが、2006年には1739万人と、3倍強である。現在、こうした大学卒業生の数量的増大に見合うだけの「理想的な」就職先は都市ではそう簡単には見つからなくなっている。高等教育機関の卒業生数と就職率について、中国の教育部発表による数字は次のようになっている(林・陳2007:34、新保2008:452-454)。

  • 2002年、145万人、80%
  • 2003年、212万人、75%
  • 2004年、280万人、73%
  • 2005年、338万人、72.6%
  • 2007年、500万人、72.2%

 教育当局からすれば、ここで広大な農村が就職先として念頭に浮かび上がってくるのは自然なことである。政府としては、就職の決まらなかった大学生が、ひとまず「村官」として農村に入ってくれるなら、その就業の問題は少なくとも三年後の任期満了まで先延ばしにできるとともに、うまくいけば農村で創業し、自活の道を切り開く可能性も期待できる。現在、中央政府と各地方政府は、大学生村官として農村に入った卒業生について、任期満了後の優遇措置をとるなどの方法で、農村行きのインセンティブを導入しようとしている。山東省や江蘇省では、公務員になる上での優遇措置や大学院を受験する際に点数を加算する等の措置を採っている(『農民日報』2008年7月4日、同2008年8月13日)。

 2006年から本格化した大学生村官の派遣は、2009年以降、初めての契約期間の満期を迎えつつある。ある調査では、大学生村官が三年の任期を満了した後の選択として、58.8%の回答者が①「公務員試験を受けて政府部門に入る」ことを希望しているという。これに対し、②「必要があれば農村に残る」が18.6%、③「チャンスがあれば農村で創業する」が14.6%、④「社会に出てゼロから仕事を探す」が8.1%であった(『農民日報』2008年7月19日)。すなわち、もしも希望通りにいったとすれば、任期満了後は6~7割の大学卒業生が農村を去り、都市の就職市場に戻ってくるか、優遇措置により政府関係のポストに参入する可能性があるわけである。残りの3~4割については農村に根を下ろす可能性がある。北京市の計画では、2009年以降の「大学生村官」のポストについては、農村を去っていった者たちの空位を埋めるに止め、「一村当たり二人の村官」という目標を達成したのちは「動態的安定」を保つとされる(辛2007)。

(2) 農村への「人材輸入プロジェクト」

 他方で、大学生村官の派遣を農村側からみた場合、それは現地の人材不足を補うという意味を持つ。

 「農村に人材が不足している」というのは、感覚的には分かり易いが、実際のところはどうなのだろうか。全国の村リーダーの学歴を見てみると、大学など高等教育卒業生の割合は党支部書記で10.1%、村民委員会主任では4.8%、であり、基本的には村レベルのリーダーは中卒と高卒で構成されているとみてよい(『農業センサス』70, 73頁)。さらにリーダーの学歴構成全体について、中国でよく用いられる「地形区分」を用いて見ると、山区(山岳地帯) 丘陵、平原の順に、高等教育卒業生が少なく、その代わり小学卒が多くなる[図1]。

図1

出所)『農業センサス』70, 73頁より筆者作成。

 農村のリーダーのなかに大学卒業生がいない、というのは至極当然のことにも映るが、なぜこういうことになるか。このような人材構成が意味するものは何なのであろうか。前述したように、大学卒業生には、かつては少数のエリートだということで、卒業後の職探しには国家による分配が行われた。農村出身者にとり、大学への進学は、農村戸籍を捨てて都市戸籍を取得すること、すなわち「農村を脱出する」ことを意味した。大学に限らず、中卒よりも高卒と、学歴が高くなるほど農村を離脱する可能性が高くなるので、村レベルのリーダーに高等教育を受けたものが少ないのは当然のことである。したがって、大学卒業生が農村に帰還して村リーダーとなっている場合、そこには何か特別の事情があったということになる。もちろん様々な個人的理由があるはずだが、Uターンするかどうかの決め手は、出身地農村の暮らしやすさであろう。平原地区のリーダーであっても大卒程度以上の者が少なからずいることからも分かるように、相対的に生活条件の良い農村地域には、その村出身の大学卒業生が帰還しやすいということである。逆に山区においては、もともと高等教育機関に進学できる子弟が少ないことと並んで、生活条件が厳しいために、高校や大学への就学にともない、いったん村を出たリーダーの「Uターン率」も低いのである。

 学歴というのは、単に個人レベルの知能や技能といった「人的資本」を示すものにとどまらず、その人の交際圏の広さやネットワークなどの「社会関係資本」を示すものでもある。たとえば小学校卒業程度という学歴であれば、その人の社会的ネットワークは基本的には一村の内部といった狭い範囲に止まる可能性が高い。小学校は基本的に一村に一校が配置されているからであり、小学校の同窓生は村の内部か、せいぜい条件の似通った周辺の村々の村民だからである。これが中学、高校卒業という学歴になると、その同窓生ネットワークの広がりは村より上の郷・鎮の範囲や、県の範囲に及ぶはずである。中学・高校は郷・鎮の中心地に置かれており、ランクの高い高校であれば県の中心地(県城)にあることが多い。県城の高校の卒業生であれば、その同級生の中には大学に進学してさらに大きな都市に住むものや、県政府や関連機関のポストにあるものがいるだろう。リーダーが鎮や県レベルの要人に「つながり」を持つこと、これは農村の側から見れば大きな「資源」となりうる。リーダーたちは、こうした個人的なつながりを利用して、私的な利益を謀ることももちろん可能であるが、故郷に錦を飾る意識をもって村全体の為に役立てることもあるからである(田原2008)。山岳地帯の農村の停滞の要因として人材不足がしばしば指摘されるが、もっと突き詰めてみると、それはリーダーの「社会関係資本」の不足により発展の手がかりをつかめないことに起因しているともいえる。

  こうしてみれば、大学生村官プロジェクトとは、中国農村の人材問題を前にしての、「外部」世界とのつながりを持つ大学卒業生を、村「内部」のリーダーとすべく派遣し、村の発展を手助けさせる、この点にこそ意義があることになる[2]

2. どれくらい拡がっているのか?

 それでは、大学生村官は「どれくらい拡がっているのか」という第二の疑問にはどのように答えられるか。ごく一部の現象について、針小棒大に宣伝されている、ということはないだろうか。

 結論から言って、大学生村官はけして一部地域の個別的な現象などではなく、2009年現在、既に全国レベルに波及しつつある。2005年6月、中共中央弁公庁・国務院弁公庁の「高等教育卒業生の末端での就業を導き、奨励することに関する意見」では、2006年から3年から5年の時間をかけて、全国の農村で「一村一名」の大学卒業生を配置する目標を掲げていた。また共産党中央組織部は、2008年から5年間の時間をかけて10万人の高等教育の卒業生を村レベルのポストに就かせる計画であった。ところが2008年10月末までに、31の省・市ですでに7.8万名の高等教育卒業生が村に入っており、当初の2万人という計画数値を遙かに超える状況にある(『人民日報』2008年12月23日)。全国の行政村の数は63万ほどであるから、平均すると8村ほどに一人の大学生村官がいることになる。「一村一名」には未だ遠いものの、すでにかなりの広がりを持っていることが知られる。

 もっとも、プロジェクトを推進する各地方政府の態度には、かなりの温度差があるようである。不完全な表であるが、『農民日報』などで報道される派遣の事例を拾ってみると、派遣の広がりには大きな地域的偏りがあるようであり、とくに河南省や北京市などが大学生村官派遣の先進地域となっていることが知られる[表1]。さらに[表]を注意深く眺めてみると、大学生村官プロジェクトの先進地域の中でも、地方によって派遣のニュアンスの違いがあるのではないかという気がしてくる。前節での整理に引きつけていえば、①大学卒業生の就業難の緩和に重点がある地域と、②農村の人材難の解決に重点がある地域とに分類できるようである。

 北京や江蘇(上海)などは①のタイプだろう。域内には高等教育機関が集中しており、また農村自体も従来から比較的発展しているために、どちらかといえば、大学生の就業圧力を解決することが主たる目的となっているように思える。他方で、内陸の河南省などでの村官派遣は、②に比重が置かれているといえよう。そもそも、省内の高等教育機関の卒業生の数自体が限られているから、全国の高等教育機関の卒業生のうち、地元出身の学生を「村官」として呼び戻すという格好になる。たとえば河南省鶴壁市は2003年から大学生村官プロジェクトを実施しており、三期にわたり1018名の大学生村官を選抜しているが、2006年までにドロップアウトした者は25人のみで、当初の予想よりもずっと少なかった。これは、いわゆる「三優先」のためであるという。すなわち「農村での生活体験のある者を優先し、専攻分野が現地の経済発展に結びつく者を優先し、同等の条件の下では、派遣される村の出身者を優先する(出身村に派遣できない場合も、できるだけ近い村に派遣する)(栗・彭2007:53-54)」というものである。こうした措置の結果、大学生村官は現地の農村出身者が中心となるから、「都会出身の青白きインテリ青年」が農村の環境に不慣れで、現地との間に心理的な溝が生まれてしまうのではないか、という心配は基本的に無用であることになる。

表1 各地での「大学生村官」派遣の広がりを示す事例
地域 派遣の広がり 出所
北京 ・2006年7月、第一期の応募者13600人から、筆記試験、面接、健康診断などを経て2016名の大学生村官が選抜され、北京郊区の11区・県に派遣
・2007年、第二期の応募者19014人から3025人の卒業生を選抜、13の区・県に派遣、これにより北京郊区の3978の行政村では「すべての村に大学卒業生を」の目標を基本的に達成。応募者の9.5%は大学院修士課程、博士課程修了者。
・2008年度には「村官」の総数は8000人となり、一村に二人の「村官」の目標が達成される予定。
林・陳2007、辛2007、孫2006
山東     「一村一名大学生」プロジェクトを実施、5年間をかけて全省のすべての行政村に一名の大学生を派遣予定 『農民日報』 2008年8月13日 「山東実施“一村一名大学生工程”」
泰安市 新泰市 2006~2008年、新泰県は山東省の先駆けとして全国を対象に108名の大学生村官を選抜、派遣 『農民日報』 2008年9月9日 「新泰108名大学生村官演活“三重角色”新農村建設的種極謀画者農村経済発展的種極参与者新技術知識的種極伝播者」
河南 安陽市   全市で3700人の大学生村官、既にすべての村に一名を配置したほか、300の先進村と後進村には二人を配置 『農民日報』 2009年2月28日 「安陽:“大学生村官”的創業楽園」
林州市 2005~2008年にかけ、4期に分けて579名の大学生村官を選抜、「一村一名」を実現 『農民日報』 2008年10月31日 「大学生村官心中的“六盼”」
湯陰県 2005年~2008年にかけ、全県298行政村では「一村一名大学生村官」を実現 『農民日報』 2008年10月11日 「湯陰:300名“大学生村官”成為基層信訪工作生力軍」
焦作市   2008年、市では第二期1000名を選抜 『農民日報』 2008年6月17日 「大学生村官王偉東的歴練与蛻変」
南陽市 鄧州市 鄧州市、2008年9月より大学生村官プロジェクト開始。市直属単位、郷鎮機関から286名、就職していない大学卒業生を128名、南陽市の派遣による15名、合計429名を全市429の村に派遣して村民委員会副主任とする 『農民日報』 2009年3月31日 「鄧州選派429名大学生任職村幹部」
漯河市 源匯区 2005年から区直属機関の1000人近い幹部の中から35才以下の大学卒業生109名を選抜し、大学生村官に 『農民日報』 2008年6月20日 「源匯大学生村官領跑新農村建設」
新郷市 輝県市 2008年、531名の大学生村官を選抜、「一村一名」を実現 『農民日報』 2008年11月8日 「“大学生村官”翟娜娜」
駐馬店市 汝南県 県内では2007年以来、148名の大学生村官を選抜 『農民日報』 2009年1月17日 「汝南県幇助大学生村官創業」
江蘇 2007年7月、約1000名が蘇北の経済的に困難な村に。2008年からは連続5年間、毎年1600人を、全省すべての村を対象に派遣予定 『農民日報』 2008年7月4日 「江蘇大学生村官工資由省財政『包干』」
湖北 2009年、全省で865名の大学生村官を選抜、派遣する計画 『農民日報』 2009年4月25日 「湖北聘865名大学生当村幹部: 毎人補貼1.5万元」
甘粛 2009年、全省で538名の大学生村官を選抜、派遣する計画 『農民日報』 2009年4月8日 「甘粛: 538名高校卒業生将獲任"村官"」
広東 2006年上半期に1000名を派遣 粟・彭2007
新彊 アクス市 クチャ県 全県188の行政村に大学生村官を派遣 『農民日報』 2009年4月11日 「庫車県大学生村官成致富領頭雁」
表2 『農民日報』記事に見る大学生村官の功績
郷・鎮 「村官」氏名 功績 記事日付 記事見出
河南 汝南県 三里店郷 劉屯村 王偉 知り合いからの18万元と信用社からの8万元で豚の繁殖場開設。出荷高が160万元、利潤が62万元に。 2009年1月17日 「汝南県幇助大学生村官創業」
湯陰県 伏道郷 夾河村 史守楊 村民二人の間での宅地の境界争いを調停 2008年10月11日 「湯陰:300名“大学生村官”成為基層信訪工作生力軍」
修武県 西村郷 金陵坡村 王偉東 トマト栽培を発展、旅行者向けの食堂と商店開設 2008年6月17日 「大学生村官王偉東的歴練与蛻変」
源匯区 空家郭郷 空家郭村 娄紅磊 栽培・養殖協会を設立、企業グループと契約し、農村物の販路を確保 2008年6月20日 「源匯大学生村官領跑新農村建設」
汝州市 大峪郷 十嶺村 趙丹丹 上級各部門への陳情活動により飲み水問題の解決、小学校校舎の改築、変圧器の設置。道路建設のために各世帯を説得、さらに外部資金も獲得 2008年7月22日 「能干“大事”的“小村官”」
宝豊県 趙庄郷 周営村 陳彦召 耕作放棄地を請負い、先進的野菜農園を開設、収益を上げる。それを見た村民も野菜作りを初め、野菜合作社と無公害野菜基地が成立 2009年2月17日 「承包農田的大学生村官」
湯陰県     王長海 2006年3月に11万元を投じて果物・野菜合作社設立(商工業登記手続き、税務手続き、商標手続き、銀行融資などにおいて政策的に優遇措置)。 2009年2月28日 「安陽:“大学生村官”的創業楽園」
古賢郷 棗元村 呉聯合 100万元以上を投資して養鶏場を創業、生産額は280万元以上、利潤は60万元以上 2008年6月21日 「湯陽県譲“大学生村官”兼任村団支部書記」
内黄県     趙四委 養鶏業で創業。 2009年2月28日 「安陽:“大学生村官”的創業楽園」
鄧州市 彭橋鎮 林山村 薛飛 ①1500万元の投資を呼び込み石材場が開設、②村民を指導して肉牛の飼育、③農地260畝を請け負い先進的農場を開設 2009年3月31日 「鄧州選派429名大学生任職村幹部」
江蘇 沛県 鹿楼鎮 房庄村 王文龍 養鶏業、野菜栽培の振興 2008年8月12日 「尽心竭力村民謀発展」
東海県 山左口郷 双湖村 周鵬 郷文化体育活動中心を設計 2008年8月30日 「大学生村官周鵬:一個設計方案為郷理節約開支15万」
李埝郷 五聯村 徐燕華 父母が出稼ぎで不在の留守児童の「活動センター」を設立。全県138名の大学生村官も同様の活動 2008年8月16日 「東海県:“大学生村官”暑期兼做“家教”」
響水県 大有鎮 民強村 陳長勇 養鶏協同組合を設立、参加世帯は30戸、規模は2万羽以上 2008年4月26日 「響水:在“一村一品”産業鏤上錘煉“大学生村官”」
泗陽県 南劉集郷 新華村 張海 出稼ぎの留守労働力による鳩の飼育、養豚を起こし、専業合作社の理事長に 2008年10月25日 「田野上弾奏更優美的青春旋律―記江蘇泗陽県南劉集郷新華村大学生村官張海」
新彊 クチャ県     牙生・依米堤 村民委員会副主任に当選後、野菜の栽培技術などを村民に伝授 2009年4月11日 「庫車県大学生村官成致富領頭雁」

3. 未熟な若者に何ができるか?

 農村に縁もゆかりもない青年たちばかりではない、という点は以上から分かる。が、経験の長い現地の村幹部たちをさしおいて、未熟な若者に何ができるか?という疑問は依然として残る。もし仮に、日本の農村地域で、大学を出たばかりの若者がリーダーとなって自分の出身地に戻ったとして、何か実質的な貢献ができるとは本人も、周りの住民も期待などしないであろう。では中国の農村では、なぜ実際に「大学生村官」が成立しうるのか。何が違うのだろうか。

(1) 大学生村官のメリット

 まず、『農民日報』の報道から、実際の「貢献」の事例を見てみよう[表2]。成功事例だけが取り上げられ、宣伝される嫌いはあるだろうが、それでも企業誘致、養豚、養鶏、その他養殖業、野菜栽培の振興、野菜農園の開設などの経済発展に関わる貢献から、飲み水・インフラ条件の改善や、協同組合(専業合作社)の設立など農家の組織化にかかわるもの、紛争調停や、両親が共に出稼ぎで不在の「留守児童」の支援活動など社会サービスにかかわるものが見られ、大学卒業生たちの活躍は多岐にわたっている。問題点を指摘する報道も皆無ではないが、全体としては成果を上げているケースの方が多いようである。伝えられる「功績」は、在地リーダーの保持していないメリットを大学生村官たちが備えている点を示唆している。以下の三つが挙げられよう。

① 「仕掛ける」姿勢

 在来の村幹部は現地の農民であり、仮に幹部としての仕事を放棄して「何もしない」場合でも、そこには村民としての生活がある。他方、村に派遣された大学生村官は、自分自身の意志としても、周囲の期待としても「村に貢献する」ためにそこに存在しているわけである。当然、「何事かを為す」必要があるわけである。したがって大学生村官は常に行動的でなければならず、新しいアイデアを「仕掛けて」いくしかないわけである。

 外部と接触したことのない在来の村リーダーは、最初から「できない」と考えて行動しないことがよくある。しかし、大学生村官の場合は「できない」かどうかも判断できないため、とりあえずやってみる。ところが物事というのは、やらなければできる可能性はゼロだが、実際に「仕掛けて」みると、存外、うまくいくことも多い。大学生村官の強みの一つは、案外、経験の無さ故の大胆さにあるように思える。大学生村官は現地の幹部や村民に刺激を与え、新しいアイデアを「試してみる」ことの触媒となる存在といえよう。

② 異なるセンス

 二番目のメリットは、在地リーダーが思いつかない発想を、若い大学生村官たちがもっていることである。この点に関しては、筆者自身の見聞から一つ例を挙げよう。北京市域のはずれにあるX村では、2007年の村民委員会選挙の前後から「大学生村官」が村に入り始め、2008年現在では4人がX村の村幹部をサポートする仕事をしていた。彼らはみな延慶の県城(県の中心にある都市)出身の学生で、夜は県城に帰宅するようだが、北京の村々にはみなこういう大学卒業生がいて、その中には当地の出身者ばかりではなく、外地出身者も多い。X村の4人は中国農業大学の卒業生で、別に他に就職が見つからなかったから仕方なく、というわけでもなく、一定期間滞在して後に鎮の幹部や、その他の単位に採用されるためのステップとして村に来ている。

 筆者は同村に8年間ほど通い詰めているが、2008年の9月にX村を訪問した際の印象は、2007年から2008年にかけての一年で、村内の緑化がかなり進んでいるというものだった。住宅の脇には花が植えられており、村の中心である野菜卸売市場前の舗装部分も四角に切り取って新しく植樹しており、いったん切り取った後、村のオフィスの門に近すぎたというので再びコンクリートで埋めた形跡さえ残っていた。また、元は荒れ地であった部分も柳の青々と生い茂る優雅な公園となっていた。筆者は、X村の現役幹部について、近年の村民選挙で学歴の低い「やくざ者」ばかりが当選してしまった[3]と聞かされていたので、緑化された村を見てイメージがつながらなかったが、これらはすべて大学生村官の仕事で、公園を整備したのはそのうちの一人、女性「村官」のアイデアであると聞き、合点がいった。

③ 村と外部の橋渡し

 三番目のメリットは、大学生村官が外部から送り込まれることにより、村の外部と村とを結びつけるアクターとなりやすいことである。より端的には、外部の援助や資金を引き込むことができる点である。こうした「社会関係資本」は、学歴=同窓生ネットワークが狭く、外地経験にも乏しい在地の村幹部には備わっていない場合が多い。とくに重要なのは、派遣先の村のある地方の政府、とくに県の関連部門との人間関係である。たとえば[表2]の趙丹丹は、大学を出たばかりの若い女性「村官」であり、一見頼りないのであるが、村民の窮状を目にすると、何とかしたい一心で関連政府部門を走り回り、資金援助を取り付けてきている。しかも一度ならず、飲み水の改善、学校校舎の修築、電気設備の購入、道路建設などのインフラを整備するために、何度も外部資金の調達に成功しているのである。

(2) 大学卒業生が「村官」たりうる要因

① プラグマティックなリーダー観

 以上のような点を踏まえても、一介の大学卒業生がどうして村のリーダーたりうるのか、日本の読者には今ひとつ腑に落ちないところがあるかも知れない。一つの素朴な疑問として、「農民は彼らに付いてくるのか?」、言い換えれば、「大学生村官はリーダーシップをとれるのか?」ということがある。そこには日本社会と中国社会における「リーダー観」の違いのようなものが横たわっている。中国では「リーダー」は、年齢の高さや家格などではなく、ある種のプラグマティックな観点から決まってくる。端的にいうと、①集団のメンバーに現実的な利益をもたらし、②その利益を人々が納得できる仕方で「公平に」配分できる人物は、年が若かろうが、家柄[4]が悪かろうが、リーダーたり得る(田原2006:105-107)、ということである。集団の中でのシニオリティが低いか、あるいは単に「若造」というだけで、その人をリーダーとして仰ぎにくい日本人の権威観とは異なる。また、高い学歴を有する人間に対しては斜に構えて眺める、という側面も確かにあるが、同時に、学歴や国家権威との距離の近さなどに対する素直な尊敬の念も抱いている。この点も、学歴の高さ、○○大学卒という肩書きが、ともすればただ嫌みなニュアンスのみを伴ってしまい、コミュニティからの排斥の理由ともなりうる日本の(農村)社会とは異なるわけである。

② 政策環境の重要性

 しかしながら、彼ら/彼女らが農村で力を発揮できることの最も重要な要因は、なんといってもマクロな政策環境にある。現在、大学生村官はもはや中央政府が推進する国家プロジェクトである。この中央政府の「精神」にしたがって、各地方政府もそれぞれ具体的な推進策や優遇策を講じて大学生村官の選抜・派遣を強力に推進しつつある。つまり、大学生村官をこれまで既に選抜・派遣している地域は、大学生村官を認知した上で、「育てよう」という意識をもって本格的にプロジェクト乗り出している地域である。とくに多くの事例が報道されている河南省などは、省を挙げて大学生村官の「創業」を支援するという政策を採っている。地方政府ごとに推進されている大学生村官プロジェクトであるから、当然、大学生村官の存在する地域の地方政府はこれを成功させたがっているのである。

 ここから、実際に村に派遣された大学卒業生の側からすれば、自らの「大学生村官」というポストの名称のもつ優位性を利用できるわけである。平たくいうと、関係部門の援助を得やすいということである。[表2]の趙丹丹も、最初から地元政府の関係者に「コネクション」をもっていたわけではない(大学を出たばかりの青年が、それほどの社会関係網を有しているケースは、むしろ稀なことだろう)。政府部門が何度も彼女からの資金の無心に応えたのは、大学生村官を支援するマクロな政策環境が存在しているからである。政策の風向きは、農民の側も敏感に感じ取る。全体としての政策的潮流が大学生村官プロジェクトを支援していることが村民にも認知されることで、国がバックに付いているのであれば何かがあるのだろう、という意識が農村住民の側にも生まれる。

おわりに

 大学生村官プロジェクトを通して見えてくるのは、ある政策が特定地域の個別的政策として始まりながら、ある時点でそれが中央政府の推進する政策のメインストリームを形成したときに、それがみるみるうちに社会の側にも認知され、支援体制が整い、浸透していくという、中国社会の一側面である。こうした素地を持つ中国社会が、大学生村官という、一見、不思議な存在を成り立たせているのである。


  • [1]  国務院第二次全国農業普査領導小組弁公室・中華人民共和国国家統計局編『中国第二次全国農業普査資料匯編(農村巻)』北京、中国統計出版社、2009年、68頁。以下、『農業センサス』と略記。
  • [2]  洛陽師範学院の王天敏教授は、現在の大学生村官現象を過去の歴史と連続したものとして捉え、「農村エリート投入プロジェクト」(農村精英輸入工程)と呼んでいる(王2007)。すなわち、「大学生村官計画」はただ単に大学生の就職難の解決を目指したものではなく、そのポイントは農村にエリートを送り込むことで、19世紀末以来の工業化、都市化に伴い生じた長期にわたる農村からのエリートの流出、人材の空洞化状況を改善することにあるという。中国の近代化の歴史は、農村からの人材流出の歴史でもあった。1930年代、良質な地域エリートが農村を離脱し、地域社会の秩序維持に責任を持たない「劣紳」が跋扈する現象を憂えた晏陽初や梁漱冥の郷村建設運動も「プロジェクト」の一環であった。
  • [3]  北京市の場合、大学生村官の派遣には、いきすぎた「民主選挙」がもたらしたリーダーシップの混乱に対し、大学卒業生を派遣することで一石を投じる、という意味も含んでいるようである。X村は、かつては決して人材の乏しい村ではなく、むしろ強力なリーダーシップによって特徴付けられる村であった(田原2005)。ところが2004年の村民委員会選挙から激しい選挙運動が生ずるようになり、それまでは比較的安定して長く務めていた村幹部たちがごっそり交替する事態が生じた。その結果、新しく幹部となった者は村内での勢力は大きいが学歴が低く、実務能力にも乏しい人々であった。こうした「民主選挙」による混乱は、近辺の村々では広く見られるという。
  • [4]  厳密に言うと、中国の村には日本的な意味での「家柄」は存在していない。

主要参考文献:

  1. 国務院第二次全国農業普査領導小組弁公室・中華人民共和国国家統計局編(2009)『中国第二次全国農業普査資料匯編(農村巻)』北京、中国統計出版社。
  2. 栗振宇・彭爌(2007)「大学生“村官”的“角色社会化”研究」『中国青年研究』2007年第9期。
  3. 林小波・陳華(2007)「服務農村 放飛青春——北京市大学生“村官”政策的調査与思考」『前線』2007年第10期。
  4. 王天敏(2007)「対“大学生村官計画”的歴史審視」『安徽農業科学』2007年第34期。
  5. 辛鉄樑(2007)「譲村村都有大学生——北京市選聘大学生“村官”的実践与思考」『求是』2007年第17期。
  6. 新保敦子(2008)「教育」財団法人霞山会監修・中国総覧編集委員会編『中国総覧2007-2008年版』ぎょうせい。
  7. 田原史起(2005)「中国農村における開発とリーダーシップ─北京市遠郊X村の野菜卸売市場をめぐって」『アジア経済』第46巻第6号。
  8. 田原史起(2006)「村の道づくり─中国農村の公共事業とリーダーシップ」『アジア遊学』第83号
  9. 田原史起(2008)「中国農村政治の構図─村民自治・農民上訪・税費改革をどうみるか」天児慧・浅野亮編著『中国・台湾(世界政治叢書第8巻)』ミネルヴァ書房。

PROFILE

田原 史起

田原 史起 (タハラ フミキ/TAHARA Fumiki ):

1967年4月、広島県生まれ。
1992年、一橋大学社会学部卒業。
1998年、一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。
新潟産業大学人文学部講師、東京大学大学院総合文化研究科講師を経て、現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。
専攻は中国社会論、コミュニティ研究。
著書に『中国農村の権力構造』(御茶の水書房2004年)、『二十世紀中国の革命と農村』(山川出版社、2008年)など。


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