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中国で激増する認知症患者

2017年2月7日

森田 知宏

森田 知宏(もりた ともひろ):相馬総合病院医師

略歴

 1987年大阪市生まれ。2012年3月東京大学医学部医学科卒。千葉県鴨川市の亀田総合病院で2年間初期研修を受けた後、2014年5月から福島県相馬市の相馬中央病院で内科医として働いている。

 人生の最期をどのように迎えたいか、考えたことがあるだろうか。私は内科医であるため高齢者と接する機会が多いが、「認知症だけは避けたい」と言う人が多い。理由は「他の人に迷惑をかけたくない」からだ。これは日本特有の価値観ではない。昨年には、英国誌『BMJ』の編集者が、「長く時間をかけて自分の存在が失われるような、認知症による死亡は最悪かもしれない」と述べている。このように、認知症は高齢社会の最大の問題といってもいい。

 認知症は高齢者の7人に1人が患うとされており、患者数は2012年時点の約450万人から2025年には700万人に到達すると言われている。しかし、実は高齢者になってからの効果的な予防方法は少ない。現時点で判明している、認知症になりやすい因子は、中年期からの糖尿病・高血圧・高脂血症などの慢性疾患、うつ病、喫煙者、低学歴、運動不足などが知られている。つまり、中年期やそれ以前からの環境、生活習慣によって認知症になる危険が増える一方で、高齢者になってから改善を行うことは困難である。高齢者に対しては、運動療法などを組み合わせた非薬物療法が試みられているが、依然として手探りの状態である。

 明るい話題もある。疫学調査によると、高齢者人口あたりの認知症患者数はやや低下傾向にあるようだ。この原因は、中年期の慢性疾患に対して薬を飲む人が増えたことや喫煙者の減少などが原因として挙げられる。また、教育環境の向上も重要な原因だ。認知症のなかで最も多いアルツハイマー型認知症は、脳にベータアミロイドタンパクと呼ばれる物質が蓄積して起きると言われている。しかし、教育を受けた人では、このタンパク蓄積が起きても認知症の症状が出にくい。従って、教育を十分に受けた人は、そうでない人に比べて認知症を発症する可能性が低い。例えば、2007年「Neurology」に掲載された研究では、高校以上の教育を受けた人は、そうでない人に比べて認知症を発症する確率が約3分の1であった。

 しかし、この世界的な傾向があてはまらない国がある。それが中国だ。2016年の英国誌『Lancet』に掲載された論文によると、55歳以上の人口あたり認知症患者数は、1990年から2010年の20年にかけて約1.4倍に上昇していた。別の言い方をすれば、中国の高齢者は、20年前に比べて認知症になる危険が1.4倍に増加していた。

 中国は、日本と同様に高齢化が進行する国として知られている。高齢者の人口はすでに2億人以上で全体の15%を占め、2035年には4億人を超えると予測されている。高齢化にともない介護需要も増加している。伝統的な価値観では、高齢の親を子供が自宅で介護するというのが当たり前だったが、核家族化が進んだ現在では介護施設へ入る高齢者も増加しており、なかには高齢者自ら介護施設の準備を進める場合もある。一昨年秋に見学した上海市嘉定区では、介護施設の敷地内に、介護を必要としない高齢者向けの住宅も整備されていた。順番待ちも発生しているようだ。今は健康でも必要となったときにすぐ介護サービスが受けられるところが安心。そう考える中国人が増えているということだろう。

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研究交流について打ち合わせ中の筆者(右端、左は趙根明復旦大学公共衛生学院 教授、
その左は王継偉 同講師、2016年10月17日上海のレストランで)

 さて、世界の潮流に反して、中国で認知症の発症率が増加している理由はなぜか。その答えのヒントは、中国の歴史にあると私は考える。昨年上海で開催された高齢化に関するセミナーで、「中国では高齢者人口あたりの認知症患者は増加傾向にあるのはなぜか」という質問が出た。パネリストで復旦大学公衆衛生学部長のWen Chen教授は、「これからの中国は教育レベルが向上するため、認知症患者の増加スピードはやや減少するだろう」と答えた。

 この発言は、文化大革命(文革)を踏まえた発言だろう。教育に関して、中国は文革の影響から逃れられないからだ。現在の高齢者世代は、10〜20代を文革時に過ごしており、十分な教育を受けていない。知識層が「下放」によって地方へ送られた時代だ。文革の期間、大学の学生募集は5年間、大学院の募集は12年間停止された。もちろん、習近平氏(58歳)のように、地方で力をつけ、中央政府に返り咲いた強者もいるが、多くの高齢者にとっては教育どころではない。中国で十分な教育機会がなかった文革世代は、前述のとおり認知症になる危険が高い。Chen氏の述べる「教育レベルの向上」の効果が得られるのは、文革世代の後であるから、今後10年くらいは、認知症リスクの高い世代の高齢化が進む。

 では文革世代の下は大丈夫だろうか。否、今度は少子化の影響から逃れられない。これは日本でも同様の状況であり、想像しやすい。都市化を推進する中国政府の方針もあり、労働世代が出稼ぎで都市部へ流出した結果、地方部では「空巣老人」と呼ばれる高齢者のみの世帯が増加している。中国の「中国養老産業白書」によると、20年前には高齢者世帯の70%が子供と同居していたが、2010年には、高齢者世帯の半分以上が高齢者単独、もしくは夫婦のみで生活している。特に独居高齢者では、社会的なつながりを失ってしまい孤独になりがちだ。

 それだけでは終わらない。その下の世代になると一人っ子政策の影響が出てくる。この世代は、一人っ子政策によって、男児の割合が女児を大幅に上回っており、独身者が多い。現在の上海の人民広場では、週末になるとお見合い集会が行われる。日本と違って、両親が自分の子供の結婚相手を探す姿は、中国独特の光景だ。独身のまま高齢者になると、これもまた孤独に陥りやすい。

 このような「孤独」もまた、認知症の危険因子となる。2012年に「Journal of Neurology, Neurosurgery, and Psychiatry」で発表された論文によると、孤独感を持つ高齢者は、そうでない高齢者に比べて認知症になる危険が1.6倍に上がった。

 今後、中国で高齢者の人口は増加する。加えて認知症の発症頻度も高くなるならば、認知症患者は急増するだろう。前出の論文の推計では、2010年の中国全土における認知症患者は919万人である。この時点での高齢者人口は、約1.5億人である。2025年の推計高齢者人口は約3億人であるため、単純計算でも認知症患者は約1,800万人となる。文革の影響を考慮するならば、2,000万人以上が認知症患者になる可能性すらある。東京都と埼玉県の人口全員が認知症になったと想像すれば、その多さがわかる。

 当然、中国は国を挙げて認知症の予防対策を行うだろう。例えば、高齢者の孤独対策として、2013年には「高齢者権益保障法」の改正が行われた。これにより、高齢の親の下へ子供が定期的に帰省することが義務付けられた。この法律は中国国内のネット上でも炎上するほどで、実効性を疑う声も多い。都市化政策で都市部にやってきてようやく仕事にありついた若者に、農村部への帰省を義務付けるのは非現実的だろう。農村部から都市部へ家族を移住させれば方法もあるが、中国は都市部と農村部で戸籍が異なるため、自由に移住はできない。

 結局、認知症患者の増加を食い止める劇的な方法はない。過去の影響から逃れられる国などない。認知症患者の増加は避けられず、その影響に苦しむこととなるだろう。農村部での認知症患者の増加は、社会保障費用の増大につながる。社会保障費用については、ほぼ地方政府に丸投げであり、約99%が地方政府の負担である。先進的な取り組みを行う地域もあり、例えば上海市静安区では軽度認知症の高齢者向けの予防サービスを始めている。しかし、農村部にとっては経済発展の重荷となり、都市部・農村部の経済格差はさらに広がるだろう。経済格差は政情を不安定にする。盤石に見える習近平政権が、思わぬところからほころびが出ないことを願いたい。


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